中国の配達屋

中国で学校の先生として勤務予定。

神社の効能

定期的にやってくる気持ちの沈み。対処法は行ったことのない神社に行くこと、じいちゃんにお線香を上げに行くこと。

 
中国の教員採用が決まる前、最高に物事がうまくいってないことをある人に相談していると「神社に行ってみなよ」と言われて、次の日に神社に行った。そしたら翌日、突然面接担当の人から連絡が来て、とんとん拍子で採用が決まった。
 
ここで私は「神様のおかげ!困ったときは神社に行くべき!」と言いたいわけではなく、神社で手を合わせて目をつむっているときに感じたあることが、今後の人生でとても大きな意味を持つのではないかということである。
 

 

 

 
 
生きている人間同士のやり取りや、自身が信じていることで結果がなかなか出ないというのは、かなり疲弊する。責任感の強い人ならなおさらで「何が原因なんだ」と自分の欠点探しにベクトルが向く。もちろん、自身に原因があることは間違いないのだけれど、それ以外の要素も少なからず絶対にあるわけで。でも疲れてると内側に矢印が向いてしまう。
 
 
そんな閉鎖した状況を賽銭箱の前で祈ることで、神様というあいまいな存在にいったんすべての責任を放り投げることができる。今詰まった思考を一時的にほぐしてくれる。「失敗したらうまくやってくれなかった神様が悪い」
 
 
墓参りも一緒で、血のつながった人って結構八つ当たりができる。どんだけ悪態ついても、家族というのは戻ることができる縁である。すでに亡くなっているじいちゃんばあちゃんに、心の中で悪態をつく。多分、亡くなってるから、何を思っても、どんだけイライラしても、許してくれる気がする。家族だから。
 

 

 

 
 
祈る、という行為はある種の責任転嫁だということ。今、生きている人に責任転嫁をすることは気が引けるし、今後関わるうえでそれが態度に出てしまう可能性があるから、すでにこの世にはないものに、なかったものに祈る。そして一方的に自分を正当化する。それでも許してくれる。逃げ道ができる。戻ることができれば、もう一度スタートを切ることができる。
 
 たくさんの逃げ道を作ることは、戻りのきく人生を送ることと同義である。